ビジネス x 平和な世界

ゴールに到る道は一つではない。いろんなアプローチがある。

子どもの頃、「世界が少しでも平和な場所になって欲しい」と願った。

大人になり、「国際協力」の分野の仕事で平和構築とかに関わってきた結果、現在は、日本企業の海外進出支援といった「ビジネス」を中心になっている。

平和構築の仕事は、世界平和との関連でいえば分かりやすい。

では、ビジネスに軸足を移した自分は世界平和を諦めたのか?

そうではない。今でも自分の中ではつながっている。

新規事業やビジネスで大切だと言われる「ビジョン」思考を、個人のレベルに落とし込んで考えてみると、自分が人生で何をやりたいのか?が見えてくるかも?!


ビジョン:「世界平和」

私について言えば、中学生の頃に憧れた夢、「世界が少しでも平和な場所になって欲しい。それを実現するために生きていきたい」といった大きな目標がある。

いきなり世界平和がビジョンです!と言い出したら、頭のおかしい奴と思われるかもしれない。まぁ、それは構わないし、少しくらい頭もおかしいのだと思う。

とは言え、世界平和をビジョンに掲げたとしても流石にテーマが大きすぎる。正直なところ、いったいどこから手をつけていいのかわからない。

そう言った場合は、そのビジョンを実現するためのステップを、ブレークダウンすることが必要となってくる。

例えば、「世界平和」とはどういった状況を示しているのか?

私が求める平和な状況とは、単に「武力紛争がないといった消極的な平和」ではない。武力紛争がない状況であっても誰かに支配される状況も許容したくない。

では、私のビジョンを定義するには、何が必要なのか?

平和な世界とは、自分自身の人生を、自分の意志で選ぶことができる世界。もちろん、単に願うだけで叶うといったものではなく、当然、自分自身の願いに応じて、努力した人には、その努力が報われる世界がステキだ。

自分の人生を、自分の意志で選ぶことができる公正な世界

自分自身の願いを実現するために、努力することは大切だ。

そのメッセージを広げるには、努力することに価値をみいだしてもらえるようにしなければいけない。

そのためには、そう言った人材を育てる「教育」がとても大切だ。

現状の世界をみた場合、「教育」の機会は平等に与えられていないんじゃないか。なら、その原因と思われることにアプローチしよう!

というのが私の情熱の原動力になっている。

教育の機会

途上国での教育の機会について、「貧乏人の経済学(みすず書房)」では興味深い指摘をしている。

一定期間の総所得が同じ家庭を比較した時に、常に同じ所得を得ている家庭(サラリーマンを想像して欲しい)と、収入が多い日もあれば収入が無い日もある家庭の場合、前者(安定収入の家庭)のほうが子どもを学校に通わせ、教育機会を与えたケースが多い、と。

この理由として、安定収入が得られる家庭の場合、未来についても予測をすることが容易(来月の収入も、来年の収入についても予測することができる)となり、結果として、子どもの未来についても、長期的な展望(教育を受けさせた方が子どもの将来にとってよい)を持つことができるのだそうだ。

他方で、後者の収入が不安定(とは言っても“一定期間”でみたら収入が安定収入の家庭と同じであったとしても)な場合には、今日を生きることができるか?明日、食べるものがあるかどうか?が生活の上で大きなテーマとなり、その日暮らしといった生き方になりやすいのだと。結果として、長期的な展望で子どもを育てるのではなく、「今を生きるために」何が必要か?といった近視眼的な思考になってしまい、子どもに長期的な展望をもって教育を受けさせる価値を見出しづらいのだそうだ。

安定した仕事をつくる

つまり、教育の大切さを両親に理解してもらうためには、まず、各家庭で長期的な視点に立って、子どもを育てる環境を整備することが重要だ。

そこで必要なことは、途上国の人々が、日々の生活についてその日暮らしのような刹那的な生き方から、自分自身の、そして自分の子どもたちの将来について、期待を持っていきていくことができるようにできたらステキだと思う。

そのためには、途上国との関わり方で、私自身が魅力を感じるのは、援助ではなく、ビジネスとして日本企業と一緒に事業を作り上げていくことで、途上国の人たちに安定して働く機会を増やしていきたい。

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