責任者は責任をとるためにいるんだ、ってセリフをよく聞くし、ほんとにそうだと思う。
責任をとらない責任者なんて周りからしたら迷惑なだけだ。
責任者になったら、自動的に責任感が芽生えるのだろうか?と考えると、そうではない。そうなる人もいれば、そうじゃない人もいる。
そういう人をなんで責任者にしてしまうのだろう?そういうミスは自分も多い。
権限と責任のバランスが大事。なんとなく分かる。でも、どうやったら正しく配分できるのだろうか?
責任者はどうやって選ばれるか?
私の場合、おそらく多くの人も、責任者を選ぶときに、つい人の「能力」に注目して選んでしまっているのだと思う。
優秀だから、有能だから、この仕事を任せたい。
そんな風に思っているのではないだろうか?
確かに、能力は分かりやすい。
似たような実績や経験があるなら、次の仕事の中心人物として責任者になって欲しい、と考えるのは至極普通のことだと思う。
こういった時に私が(勝手に)抱いていた暗黙の期待としては、「責任者にするんだから、責任は当然取ってくれるよね?最後までちゃんと形にしてくれるよね?」ということ。
もちろん、荷が重すぎて、どうにもならない状況になってしまいそうであれば、丸投げではなくサポートに入る気もある。
でも、私が感じている残念さは、こういった形で仕事を頼んだ人たちの中に、責任感もへったくれもなく、まるでアルバイトかのような感覚で、「私はここまでやりました。もうこれ以上は無理です」と平気で仕事を途中で投げ出せてしまう人たちがいることだ。
何で???
はてなマークがくらあっても足りない(笑)
責任者になってもらったあなたに裁量も渡して運営を任せたのに、なんで、そんな中途半端に、しかも状況が悪化した今ここで逃げ出すの?
しかし、こういったことが何度かあったということは、私の責任者の選び方の基準に問題があるのだろう。
逃げ出さない覚悟
私が責任者に求めているものは何か?
考えてみると結構シンプルだったりする。
「最後まで逃げ出さないで完遂する覚悟がある人」
ここまで考えて、はっと気づいた。
そうか、自分が責任者に求めるものは、「覚悟」なのに、なぜか気づけば無意識に違う基準「能力」で人を選んでしまっていた。。。
至極単純なミスだとわれながら思う。
自分が本当に大切にしている考え方に従って判断すればいいのに、なぜか別の基準でものごとを考えてしまっている。
何かを判断する時、脊髄反射のようにパターン化された思考をしてしまうこと、これって結構よくあると思う。
でも、自分自身が本当に大切にしている価値観と、自分自身の判断がしっかりと一致しているか?を振り返ることが大切なんだ。
権限と責任のバランス
私自身の価値観として、能力<覚悟であることは分かった。
だからといって、覚悟だけは100%のような人に責任者になってもらえれば万事OK!ともいかないだろう。
業務を遂行する能力が全然ないのに、覚悟だけは最後まで持ち続けてくれるような人に責任者になってもらってしまったら、おそらくその人はつぶれてしまう。。。
心意気だけをひたすら見せられても、仕事が進まなくては元も子もない。
覚悟とは責任感に近いものだと思う。他方で、権限とはその業務を遂行する能力に対して与えられるべきものなのだろう。
権限と責任。これをバランスよく配分することって、実際には言葉でいうほど簡単ではないとも思うけど、覚悟があって、能力がある人、その人に責任者として権限もしっかりと委ねる。
そんな組織運営ができればステキなのだと思う。