断絶か、交流か?コロナ後の世界のビジネスモデル

歴史の流れは一直線に変化するのではなく、揺り戻しを経験しながら過去から未来へと流れる。その変化とは、ある場所と別の場所を行ったり来たりする振り子のようなものではなく、変化しながら螺旋状に元の場所から少しづつ違う場所に進んでいくのだと思う。

Before コロナ:小さくなる世界

海外がより身近に

ほんの少し前、2020年の始まりまでは、海外にでることはかつてないほどに簡単なものになっていた。

実際に2019年に日本人の出国者は初めて年間2,000万人を超えた。1990年に初めて1,000万人を超えた時から30年間で2倍に増えている。

私自身も、毎月のように出張していたし、パスポートとクレジットカードさえ持っていれば、いつでも海外に行けると信じて疑っていなかった。

貿易もより活発に

この30年で世界中の貿易額も飛躍的に伸びてきた。1990年の世界貿易額は3兆3,800億ドルだったものが、2019年には18兆5,000億ドルと5.5倍に膨らんでいる。

日本の貿易額だけをみても、1990年の2,900億ドルから、2019年には7,000億ドルと2.4倍にも増えている。

このうようにヒトとモノの流れが活発になることで、世界の多くの地域が経済的に豊かになってきたのが過去30年の流れといえる。

With コロナ:断絶する世界

経済の戦い

コロナ以前からすでに断絶の流れは始まっていた。米中新冷戦とか米中経済圏のブロック化と呼ばれる争いのことだ。

単純に世界全体としてみれば、ヒト、モノ、そしてカネが円滑に流れる方が経済的な発展にとってはプラスというのは間違いない。

世界と断絶をした例として、日本の江戸時代の鎖国や、コロンブスなどヨーロッパの大航海時代に100年近く先駆けてアフリカにまで到達した鄭和の南海大遠征にもかかわらず海外との交流を禁止(海禁)した明などがある。

しかし、いずれにせよ両国の経済的な発展は、海外との交流(貿易)を再開してから動き出すのであり、鎖国状態では経済成長は多くを望めないのは明らかだ。

思想の戦い

交流が経済を牽引してきたにもかかわらず、あえてそれを捨てて、断絶へと向かうメリットは、経済では説明できない。

2030年までに、中国の名目GDPがアメリカを抜き世界第1位になると予想されるなか、経済よりも優先すべきもの、価値観、をめぐる戦いなのだと思う。旧来のNo 1が、自分の立場を脅かしつつあるNo 2に対して戦いを挑んだのだと。

価値観や思想の戦いと言われても、普段、あまり異なる価値観に触れることのない日本からするとイメージがしづらい部分も正直あるように思う。

私たちは、経済成長の他に何を大切にしたいのか?

別の言い方をすれば、最近の流行でもあるSDGs的に「どんな社会」を理想として実現したいのか?を考える必要があるのだと思う。ここら辺は、別のトピックなのでまた別の機会に取り上げてみたい。

コロナで断絶に向かう日本社会

日本国内に目を向ければ、感染拡大を防ぐ必要もあり、人の移動が大きく減少し、国内でも地域の分断が起きている。ワクチンもなく、無症状で感染が拡大する状況で、感染拡大を防ぐ取り組みは重要だと思う。

その一方で、このような分断を永続的に続けられるわけではない。

今の分断状態が恒常的なものではなく、いつか再び交流が再開して、世界との関わりのなかで生きていくスタイルに戻る準備も必要なのだと思う。

コロナによって誰もが想像したこともなかった極端な分断状態を経験した今、その対極にある世界との交流をどのように進めていくべきなのかを考えるきっかけにできたらと思う。

日本はこの先、世界とどのように関わって生きていきたいのか?

After コロナと日本

搾取の時代の終わり

従来の世界との関わりは、貿易で安いものを仕入れて高く売る、もしくは安価な労働力を求めて海外に進出する、といったビジネスモデルが多かった。

確かに、ヒトやモノが自由に流れない状況では、財の価格は一定にはならず、不均衡が生じる。

しかし、コロナ以前に見てきたように、世界規模でヒトとモノの流れは、過去にないほどに円滑に、そして大量に流れるようになってきている。

そうすると、世界中のどこかで割安なものを仕入れて、それをどこか高く売れる場所で売る、といったモデルは徐々に割りに合わなくなっていくのだと思う。

より公平な競争の時代へ

同じことがヒトについても言える。

これまでは、技能実習生のような形で、給与水準が低い国の人材を雇って、日本人では労働力が確保できない場合の労働力として活用するというモデルが成立してきた。

しかし、ヒトの流れがより自由になった世界では、途上国の人材であっても、自分自身のスキルに見合った報酬をもらえる場所を自分の意思で選ぶことが今以上に容易になる。

そうなった時に、もともとの生まれで、不利益を被っていた(逆にそれを利用して利益を得ていた)ようなモデルは成立しなくなる。

逆に言えば、これまでは日本に生まれたおかげで、日本社会の中だけで競争すればよかった日本人が、この先、世界中の優秀な人材と競い合う、そんな時代になる気がしてならない。

もちろん、新しい環境のなかでも日本という国が元気でいるために、頑張っていきたいと思う。

でも、こういった状況が「より公平な社会」と呼べるのではないか。

適正な価値の等価交換

コロナ後からしばらく先の世界では、ヒトやモノがより自由に流れる世界になるのだと思う。

それは、自分たちが持たないものを相手に、相手が持つものを自分たちが受け取る、そんな形の等価交換という発想が大事になるのだと考える。

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