心にひびく人事考課

社会人になると人事考課、コンサルテーションなど呼び名は違うけど、上司からのフィードバックを受ける機会がある。

子どもの頃から「他人の評価なんてどうでもいいw」と信じて育ってきてしまったので、正直、上司からのフィードバックなんてどうでもよかった。

そんな感じではあったけど、自分が「チームを作りたい」と思い始めると、自分が何のためにやられているのか理解できなかった人事考課を、私自身が仲間にやっては意味がないな、とも悩む。

人事考課のスタイル

一方通行の「通知」

一般的な人事考課では、上司(会社)が期待していることを達成できているか、この先どのような人材になってほしいかについて、上司が部下に評価という名目で伝える場なのだと思う。

でも、「私たちはあなたのことを評価しています」と、何とも思っていない上司に言われたところで、何も心に響かない。実際に、よい評価をもらっていた時ですら、「まぁ、あなた達にどう思われようとどうでもいいけどね」と思っていた。

逆に、「私たちは、あなたにこうなってほしいと考えています」と、私が考えている計画とは的外れなトンチンカンな期待を提示してきた上司には、「まぁ、あなた達のものさしでは、私の考えていることは理解できないでしょうね」と思ってしまう。

こんな感じで、一般的には社会に適合しづらい性格の自分ではあるけど、ひとつだけしっくりきた人事考課もある。

双方向の「コミュニケーション」

その人事考課もひと通り私に対する評価のフィードバックはあったのだけど、途中から上司が「ところでわっきーはどうしたい?」と聞かれた時。その時は、今後1年間くらいかけてやろうとしていた自分の計画を伝えた。「それでいいんじゃない」と返す上司。

普段から何を考えているかこまめに上司ともチューニングはしていたけど、改まって個人レベルの計画について相談というか確認をする場としての人事考課、というかコンサルテーションなら意味はあるのだと思う。

つまり、大事なのは、上司から部下への一方通行ではなく、部下が何を考えているかを踏まえて、どうしたら部下の望むキャリアを会社の中で実現してもらえるか?を考えることが上司が本質的にやらなければならない役割なのだと思う。

部下を組織のパーツとみるか、意志をもった人とみるか

この2つのアプローチの大きな違いとして、部下をどのように考えているか?が現れているのだと思う。

部下を単なるコマとして、自分(組織)の望むように動かしたいという欲求に飲まれている上司は、コマである部下に対して指示を一方通行の「通知」として出すのだ。

「考えて行動する人材」を育てたいと考えている上司であれば、上司自身の考えのほか、そもそも部下が何を考えているのか?についても関心を持ち「コミュニケーション」を取ろうとするのだと思う。

ポテンシャルを引き出し育てる

部下を育てたいという思いは、上司はみな持っているのだと思う。

でも、自分自身の思い描く通りに育てようというのは無理があるのではないか。部下だって一人の人であり、意志がある。

私も大好きなノムさんも

選手への愛情次第で、選手の未来は変わる

野村克也「指導の書 リーダーの条件」(セブン&アイ出版)

と伝えている。

部下に愛情を持って接するということは、部下自身が何を考えているのか?にも興味・関心をもち、人として接することが大切なのだと思う。

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