世界のなかの日本:ビジネスで世界と関わっていく

過去20年間、経済成長を実感できない日本。他方で、日本人が知らないうちにこの20年、経済成長をつづけてきた途上国。

私たち日本人にとって身近なASEANでみてみると実感できる。例えば、1997年と2017年を比較してみると:

1997年2017年 増減
日本4.4兆ドル4.9兆ドル10%
ASEAN0.7兆ドル2.7兆ドル293%


※世界銀行のWorld Development Indicatorより。1997年時点のGDP情報がないミャンマーは除外。

過去20年で10%しかGDPが増えていない日本に対して、ASEANは293%と3倍の経済規模になっている。

もはや途上国という言葉は、ニュアンスを正しく表していないんじゃないかな。途上国と呼んでいるから、多くの日本人が途上国が今でも貧しいかわいそうな国といった錯覚を持ち続けているのだと思う。

途上国との関わりかた:国際協力からビジネスへ

90年代の日本

私が中学生だった時代、バブルが崩壊したとはいえ、90年代半ばでも依然として日本が世界第2位の経済大国と教わった。

中学時代を香港で過ごした自分としては、大丸や三越が中心部にあり、日本の大手家電メーカーの製品があちこちで売られている様子をみて育ったので、日本の企業って世界中で活躍しているんだな、と思っていた。

中学生の自分の目には、日本が海外のあちこちにプレゼンスがあるのだと感じていた。なら、日本人として世界でできることは大きいはずだと信じていた。

それが「将来は国際協力の仕事をしたい」と心に決めた理由でもあった。

でも、その感覚は長くは続かなかったんだ。

2000年代後半の東アフリカ

大人になって2000年代後半に東アフリカにあるケニアを訪問したときのこと。もうそこには日本企業の存在感なんて全然感じられなかった。

日本企業に変わって当時よくみかけた外資系企業は、韓国の企業だった。SONYやPanasonicではなく、SamsungやLGといった家電メーカーや、Hyndaiの自動車をあちこちでみかけた。

もう、日本企業のプレゼンスって全然ないんだ。

自分が中学生だった時代からたった10年ちょっとしか経っていないのに、ずいぶんと世界の中での日本の立ち位置が変わっているんだな、というのを実感したのを覚えている。

日本企業にとってのビジネスチャンス

アジアの可能性

2010年代の前半は、南アフリカ、エチオピア、ナイジェリア、ガーナといったアフリカの国で仕事をすることが多かったけれども、2015年以降はカンボジアやバングラデシュといったアジアの国で働いている。

アフリカに通っていた時代からすると、何より近いのが素直に嬉しい。大抵はDoor to Doorで10時間、半日程度あれば目的地までつくことができる。アフリカなら1日以上、場合によっては2日程度を移動に費やすこともザラだったことからするとまさにあっという間だ。

この距離的な近さは、心理的な近さにもつながるのだと思う。

実際に日本の企業に、開発途上国を対象とした海外進出支援をしていると70〜75%は、ASEAN希望だ。

カンボジア

人口が1600万人とASEANの中では日本企業があまり注目をしていない国であっても、ビジネスをしている日本人に多く出会う。実際に東洋経済の記事によると現地法人の数は2011年の23社から2016年には73社と約3倍に増えている。

首都のプノンペンでは単に日本食が食べられるだけではない。カンボジアにひんぱんに来るようになった2015年で、すでに「そこそこ美味しくて安い日本食レストラン」といっただけでは、ビジネスとして続けていくのが難しいといわれるくらいに日本食レストランが価格・質での競争が始まっていた。

この日本食レストランの過当競争(?)も予想外のできごとだったけど、もっと驚いたことはカンボジアが豊かになっているということだ。

初めてカンボジアにきたのは2005年。カンボジアを訪れるほとんどの日本人と同じで、アンコールワットの遺跡群がみたくて。当時、ベトナムからボートでカンボジアに入り、陸路でタイに抜けるという旅程で移動した時に、タイ国境に入った時に圧倒的に道がキレイになり、バンコクの都会ぶりに正直びびった。日本出身とはいえ、しばらくの間バックパッカーで田舎を中心に移動していた自分には、都会のバンコクってすごいなーと感じた。当時のカンボジアはほんとに何もなかったのだと思う。

でも今は違う。この10数年で大きく変わった。

首都のプノンペンには建設途中も含めて高層ビルが立ち並び、イオンの進出もあり首都で生活する限り、手に入らない日本の食材なんてない。ほんとうにここでの生活は快適だ。

この数年でも違いが感じられる。数年前までは、あまり新車のバイクをみなかったけれども、最近のプノンペンでは、新しいHondaのバイクに乗っている若者をたくさんみかける。

カンボジアの人も豊かになってきているのを実感する。

ビジネス展開の方法

ここ5年くらい私が関わっている日本企業の海外進出支援で、もっとも多く受ける依頼のタイプは「輸出モデル」だ。

日本で作った製品を途上国に輸出したい。

確かに、海外拠点が必須ではない輸出モデルは、国内の企業からすればハードルは低いのだろう。

でも、ビジネスとして考えるなら、「輸出モデル」も決してハードルは低くはない。

日本にいながら海外とビジネスをすることの一番のハードルは、消費者のニーズをつかむのが難しいということだ。

実際に「現地で競合となる○○の製品とくらべたら、段違いでスペックが高い。だから売れるに違いない」と考えている日本企業は多い。

でも、そんなに単純なことではない。

マーケット・インのビジネスモデル

実際に現地に行き、消費者と会話すれば、違った景色が見えてくることもある。

例えば、日本の製品の性能は素晴らしい、という消費者がいたとしても、彼らがみているのは性能だけではない。価格もとても重要な要素なんだ。

競合製品に比べたら“少しだけ”日本製品の方が性能はよいけれども、そのちょっとした性能アップのために、2倍〜3倍の価格の製品を買おうなんて消費者はいない。

他にも例はある。競合製品に比べたら10倍長持ちする日本製品があるとしよう。確かに、10倍長持ちするのなら、価格が10倍でも買ってくれるかもしれない。でも、多くの消費者の思考パターンは違う。製品寿命が1/10しか持たないけど価格も1/10なら、壊れるたびに10回買い直せばいい。

カタログスペックばかりで製品やサービスを売ろうとしてもなかなか難しい。

「よい製品・サービスだから売りたい」という気持ちはわかる。実際によい製品だし、よいサービスなのだろう。

でも、消費者との対話なくしてビジネスの構築って難しいんじゃないかな。

現地に根付いて消費者と対話し、現地の企業とパートナーシップを組み、長期的なビジネスを立ち上げることができたら、それこそ縮小している国内市場で事業拡大の見込みがない日本企業にとっては新たな活路になるんじゃないかな。

日本が世界のなかでいきていくために

過去のアプローチ

かつて、圧倒的な経済力をバックに、困っている途上国の人を助けたい、という考え方が主流の時代もあった。

でも、今の世界のなかでの日本の立ち位置をもう一度しっかりと見つめる必要があると思う。

再びカンボジアに話を戻すと、JETROによるとカンボジアに対する援助額は、2010年に中国が日本を抜いて、今では最大の援助国となっている。年度によって違いはあるものの、だいたい日本の2〜3倍が中国の対カンボジア援助額だ。

世界中のいろんな国を訪問して、出会った多くの人に「日本はいい国で、好きだ」といってもらえるのは、過去の日本人が築いてきた信頼のおかげなんだ。特に途上国では、開発援助の役割は大きいというのも実感している。

未来にむけて

でも、今、日本という国に向けられている信頼は、自分たちの世代が築いたものではない。過去の日本人が築いてきた信頼を、自分たちは食いつぶしているだけになっていないか?

今を生きる自分たちも、この先も日本という国が世界のなかで生きていけるようにしていきたい。

今の日本に開発援助というアプローチだけで、世界、特に途上国と強い絆を維持していくことは難しい。

ならば、日本が世界との関わりのなかで生きていくには、援助とは違った、対等のビジネスパートナーとして途上国と一緒に歩むのが一つの答えなのだと思う。

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